天才屋さん

人はなぜ天才に惹かれるのか?それは、天才の高貴な姿の中に自分自身を没することで、自分自身の本質を純粋な形で理解できるから。

『天才』というタイトルの本にそんなことが書かれていた。歴史上の様々な天才について研究していた昔の学者が出した本で、あまり読みやすくはなかったが、我々が天才に感じる魅力の正体が、上手く言語化されていると思った。

天才に自分を投影するのは、気持ちがいい。どうして気持ちいいのかなんて、深く考えたことはない。単に「全能感を得られる」以上の理由はないと思っていた。でも、そうすることで「自分自身の本質を純粋な形で理解できる」と言われると、まさにそれだと思えてくる。天才の登場するコンテンツを楽しんでいる時、自分の能力が拡張される感覚ではなく、むしろ余計なものが削ぎ落とされる感覚をおぼえる。自分の中の思い込みが取り払われていき、これまで勝手に視界から消していた可能性が、また見えるようになる感覚。私は今まで何をしていたのか。

人気作品は大半が天才を描いているし、人気者はどこかで天才性を示している。エンターテイメントはつまるところ天才像を供給する産業で、それは単なる現実逃避の道具ではなく、人々が現実をシンプルに捉え直すために必要なものなのだろう。