綺麗な絵は学歴のようなものでした

クオリティの高い絵になぜ価値があったのか。綺麗だからではない。「ちゃんとしたコンテンツ」であることが一目で分かる印になるから価値があったのだ。

例えば、世の中には無数の個人制作ゲームが存在する。あるゲームに質の高い絵が使われていれば、作者は絵師に依頼するだけの行動力がある人か、上質な絵が描けるくらい努力のできる人だと分かる。金か手間か両方をかけて作られたものだという目印になる。ネット時代における絵の価値はそういうものだった。

これからは違う。綺麗な絵は作者のことを何も説明しない。ツイッター上の漫画など読みづらくて仕方ないのに、それでも流行ったのは、描ける人が限られているから。ちゃんとした絵がついている。ちゃんとした人が作ったものだ。読んでみるか。それも終わり。描く気をなくした人は大体こんなことを考えている。だから自分がAIを使う気にならない。誰にでも出来るようなことは創作にならない。不思議だけれど。